
連続企画「論証−群島のアート考古学」第3弾として、1月29日(木)より、

を開催します。
ブラジルの画家ルーベンス・マトゥック。 絵画、版画、彫刻、建築、カリグラフィー、タイポグラフィー、絵本、博物学、宗教哲学……。 あらゆる手法と関心を取り込みながら制作するこの幻視的アーティストが日本をはじめて旅する。
彼の最大の関心事の一つであった象形文字の国。 文字の歴史をめぐる作品や研究の蓄積のはてに、いま、彼の目は、筆や墨や漉き和紙の現場をどのように見るのか? 彼の手は、煌めく都市風景のなかで踊る不可解な漢字や仮名文字を、いかに旅の手帖に書きつけるのか? 日本で新たに生み出される一冊の野性のカデルノ(手帖)のなかにあらわれる奔放なアーティストの創造の小徑を探索する。





今福龍太
サンパウロに住むアーティスト、ルーベンス・マトゥックのアトリエに入ると、自分が何者で、どこにいるのかを一瞬忘れてしまう。まるでアマゾニアかどこかの密林にひっそりと佇む、小さなあばら屋のような村営博物館にまぎれこんで、熱帯植物や虫の標本に取り囲まれて陶酔したように佇む子供の私がそこにいる・・・。そんな、懐かしさのないまぜになったわくわくする気分に必ず襲われるからである。そこには、無数の形態をした植物の種子や葉、極彩色の鳥の羽根や蝶の標本、ありとあらゆる新聞や雑誌から切り抜かれた珍しい動物や植物の写真、使い古した地図やスケッチ帳などが、ガラスケースに入ったり壁にぶらさがったり、あるいは棚に無造作に並べられたりしながら、妖しい光を放っている。埃やカビや、朽ちた木や汗まみれのノートなどすべてが発散する匂いがひとつになって、大都会のコンクリートの家の一室をまるでことなった不思議な胎内空間へと変貌させているのだ。ここにあるすべては、これまでルーベンス自身がブラジルという広大な大地を縦横に旅するなかで収集されたものたちである。それがルーベンスのアートの霊感源のすべてだった。これら驚異の旅の収穫物と記憶とをもとに、彼のアートが生み出される。素描、絵画、版画、彫刻、タイポグラフィー、カリグラフィー、グラフィックデザイン、といった領域にまたがる、しかしそのどれにも収束しない脱領域的なアートこそが、ルーベンスの表現の越境的な性格を示している。

たとえばあるとき、ルーベンスは「飛行する種子」というテーマを徹底して追求しはじめる。アマゾニア全域で収集された様々な植物の種子が、授精のために身につけた自らを風に乗せて飛行させるさまざまな形態……。蜻蛉のような薄い羽根を広げたり、スクリューのように回転する形だったり、あるいはパラシュートのように風を孕む形態をそなえている種子。これらの驚くべき自然の造形が、飛行という運動を生み出すために自然がそなえた美的な形態と多様性を指し示す。ルーベンスは、可能な限りそうした多彩なかたちの種子を植物学者さながらに現地で収集し、それらを分類して形態学的分析を行い、その構造を精緻に模写しながら研究し、紙や木を使って正確な模型を製作し、さらにはそうした飛行形態を別種の用途に流用する遊戯的なオブジェを制作する。これらすべての行為が、「飛行する種子」というテーマを全的に考察するための、一大カタログを形成することになる。作品、という概念があるとすれば、ルーベンスの作品とは、これらすべてのプロセスを一人で行う彼自身の身体と、科学的であり空想的でもある彼の頭脳のヴィジョンそのもののことである。
1994年にサンパウロ美術館ではじめて行われた特筆すべきプロジェクトは「ウルピンへの旅 ── 一つの天体への五つのヴィジョン」と題されている。これは、ゲーテ、フンボルトから、神経生理学者ルリア、フロイトまで、その学問的背後に一貫して流れる一種の「ロマンティック・サイエンス」の系譜にたいする、現代アーティストの側からの興味深い応答の試みである。この展示は、ウルピンと呼ばれる地球外の天体を描き出す五人のアーティストたちの作品の紹介というかたちをとる。ウルピンという星が架空のものであるのと同じく、展示に出品した作家であるバーバラ・リッヘンシュトック、アルフレート・カッツ、ジョアォ・モッタ・マルティンス、ピエト・ヴァン・アッカー、ピエール・ムニャックと名づけられた五人のアーティストもまた、ルーベンス(とその共同企画者ヴァウミール・カルドーゾ)の分身たちにほかならない。だが念入りなことに、これら五人の作家には、それぞれに異なった国籍や経歴や芸術的流派が詳細に与えられており、ルーベンス・マトゥックという作家の固有名はこれらの異名の背後に隠されて一種の匿名性を帯びることになる。展示された作品は、ウルピンの土中から発掘された植物の実や土器の欠片などの収集品をオブジェ化したもの、惑星ウルピンが発する異様な光が孕む色彩の素描、ウルピンの海の不思議な形態を描いた抽象画、古生物の骨格の化石などをもとにした標本、等といった多種多様な「作品」であり、それらの総体が「ウルピン」という星の特異な動植物相や自然景観を私たちに伝えてくる。
この架空展示の仕掛けがすでに見るものに了解されているとしても、わたしたちはここに、地球という生命体の常識的なイメージを超える不思議なモノの存在を感知する。それらのモノが物質としてそなえている見かけや形態のなかに、これまで注意することのなかった微細な揺らぎや変異が内包されていることに気づく。あらためて、この地球上のモノの形態や色彩を見る私たちの眼が、美的であり科学的でもある新しい規準をそなえはじめる。会場を出たとき、私たちの世界像、地球という天体を全体的にまなざす視線は、未知の発見に打たれて新鮮なヴィジョンを獲得しているのである。
ルーベンスは、美や想像力の領土に科学の種を蒔いたのだ。ちょうど、ゲーテやフンボルトが、科学の領土にロマンティックな美学の種子を蒔いた歴史を転倒するように。大学でまず建築を修め、のちに博物館学、バロック美術、さらに考古学や生態学的な調査経験をもつんで来たルーベンスのアーティストとしての自己形成の興味深い足跡が、こうしたユニークなアプローチを可能にした。世界最大の森林を内に保持し、同時に無数の都市的矛盾を抱え込んで、自然環境と科学テクノロジーとが鮮烈に対峙するブラジルにおいて、こうした想像力の冒険が試みられていることに、私は特別の関心を惹かれるのである。
そのルーベンスが妻のロゼリー(キュレーターであり彼の旅の野帖の制作者)とともに日本をはじめて旅する。長いあいだ彼の最大の関心事の一つであった象形文字の国。カリグラフィーやタイポグラフィーをめぐる作品や研究の蓄積のはてに、いま、彼の目は、筆や墨や漉き和紙がつくられ、使われている現場をどのように見るのだろうか? 彼の手は、過ぎ去る風景のなかを踊りめぐる不可解な漢字やヒラガナの文字を、どのように旅の手帖に書きつけるのだろうか? 本展は、文字と絵と書きつけによって構成されてきたルーベンスの「野帖」の歴史的変遷を追いながら、日本で新たに生み出される一冊の野性のカデルノ(手帖)のなかにあらわれる奔放なアーティストの創造の小徑をともに探索することをめざしている。
